[対話]建長寺管長 吉田正道 老大師 [前編]

いま、欧米を中心に世界中で注目され実践される「マインドフルネス」。禅にルーツをもちながら、世俗の人々の手へと渡りライフスタイルへと浸透しはじめた現代の瞑想法と、伝統の中に脈々と受け継がれ、人類の叡智として磨かれてきた禅の実践について、日本における禅仏教の始まりの地である鎌倉五山の第一位、臨済宗建長寺派管長の吉田正道老師にお話をうかがった。まず前編では、座禅とマインドフルネスの異同から禅の中心へと迫る。

吉田正道 老大師

Zen Master SHODO YOSHIDA
臨済宗建長寺派管長 巨福山 建長寺 第240世住持


Zen2.0 今、欧米でZENあるいはメディテーションというものに興味を持ち始めている人々に向けて、本物の禅というものをどのように伝えていけるのかについてお話をうかがえればと思います。老師は、「マインドフルネス」という言葉自体はご存知でしたか?

吉田 この前テレビで何か言うてましたかな。初めのところをちょっと見ました。

Zen2.0 この前というと恐らく「NHKスペシャル キラーストレス」という番組でマインドフルネスも紹介されていました。現代生活のいろいろなストレスや悩みの中で、瞑想が今かなり注目されてきているという文脈でした。

吉田 昔からわれわれはずっとそれをやってきたんです。人間というのは変なものでね、信仰というのは何か目に見える見返りがないとやらんことが多いでしょう。幸せになるとか、苦しさから逃れるとか、そういうことがあるから手を合わせたり信仰したりしていろいろやるんですけどね、本来禅ではそういうことも一切合切、もともとがイコール空(くう)である、空っぽであるというのが建前ですから。

だから、一番私がやかましく座禅の時に言うのは「姿勢をまっすぐせえ」と。グッと。これしかないと言うんです。しっかり腰を伸ばして丹田へ力を集中します。そして、肩の力を抜いて、顔をまっすぐ上げ、半眼にして、口を閉じる。こうして自然の呼吸になると呼吸が大きくなりますから。そうすると、自然と落ち着いてくる。落ち着いてくるということは、要は、頭の中が空っぽになるわけです。いろいろなことを考えるから姿勢が悪くなっちゃうんです。だから、歩いておっても座っておっても常に姿勢をきちんと保つ。

私は抹香臭い話はしないから、座禅とは本来「空」である、平等である、全部が自由である、その瞬間を自分で体験をしようということをしっかり伝えます。普通の信仰では「こうやったら何かおかげをこうむる」といったことを言うけれど、私は一切そういうことは言いません。本来の禅はそういうことではないから。

人間はいろんなことを考えますけれども、瞬間瞬間を本当に正して歩いたら、いろんな悩み事というようなものは、悩み事は悩み事なりにしてずっと無心になれるのです。難しいことを言うてもあれですから、座禅に来られる人々に向けては、ほとんどその話を中心にしてやってます。われわれが座禅で脚を組むのは、体が動かないようにするためなんです。動くとどうしても座禅になりません。だから、動かんだったら椅子でもええんです。腰をしっかり伸ばすこと。で、脚をちょっと開いて、お腹をゆっくり前に出して。

Zen2.0 海外の方々もこちら建長寺さんにいらっしゃることは多いですか。

吉田 おみえになりますね。言葉が通じないからあんまり説明ができんけど。中国の人も欧米の人も、みなさん結構来られるでしょう。この頃はタイとかアジアの人も結構おみえになりますね。

Zen2.0 いわゆる伝統的な禅の立場からいうと、今、欧米を中心に流行っているマインドフルネス、つまりみなさんが日常的に瞑想に取り組むことについて、いわゆる浅薄だという、「それと禅を同じにするんじゃない」といったお叱りの声もやはりあると聞きます。一方で海外ではわりと純粋に「ZEN」というものに興味を持って、こうして建長寺さんに来られたりしている。

吉田 要は、禅ということを喩えで言うだけの話であって、本来そういうこともないんだから。だから、例えば「神は天にある、心は仏にある」とかいろいろ言うんですけれども、そういう二つじゃなしに、常に「我一つ」が全部備わっているということです。だから、小さい我も宇宙も全く一なんです。他意がないわけ。ゼロ。だから、そこを目指してやるようにというて、私はいつもそれしか言わんのです。

それをやっておけば、例えば、道を歩いておっていろんな人にお会いするでしょう。私も境内なんかでも自然と声をかけるんですよ。「おはよう」「こんにちは」といって。そうすると、心が一つになるでしょう。他意にならん。ゼロにすることが大事やから。日常もそういうふうに思っていくようにということです。

姿勢が崩れると、どうしても人間はいろんなことを考える

Zen2.0 そういった意味で、日常的に瞑想をされる方々が増えていますね。禅寺で実際に修行されている僧侶の方々とは違うんですけれども、いわゆる無心といいますか、空といいますか、悩みや雑念をいかに払って自分の呼吸に集中し、「いまここ」に入っていくかということを、みなさん目指されていると思うんです。日本でも欧米でも、人々が日常的にこうして座り始めているということについてはどうお考えですか?

吉田 それは結構なことですよ。例えば、われわれは座禅でもビシっと姿勢を正す。お経を読む時は声に出してやるでしょう。それはそれでまた一本ですから。だから、姿勢はお経を唱える時も、きちっとまっすぐ持ってやれと言うんです。姿勢が崩れると、どうしても人間はいろんなことを考える。だから、きちっと姿勢を保てば、それこそ過去から現在、未来までずっと貫いていくんです。無心ということは、「貫いて宇宙いっぱい」ということですから。ゼロということですから。無心ということです。自分の呼吸に集中するとか、「いまここ」とか、そういう意識の中にいるんじゃない。その意識も捨ててしまった世界が本当に無心である。だから、その世界は三昧の世界だ。

Zen2.0 皆さんそこを目指されるのですが、老師はその域に達するには……

吉田 それはいろんなことをね、やっぱり悩み、苦しみ、体で取得するんですから。その間はなかなか大変ですよ。やればできると言えばそれだけのことなんですけど、それだっていろいろ思い悩むでしょう。こんなことで解決するのか、どうなのか。しかし、実際に一生懸命やれば、そのわりに気持ちがいいということは皆さん分かってくれる。

Zen2.0 「気持ちがいい」というのはおっしゃる通りですね。

吉田 それの積み重ねなんですよ。なぜかといったら、自分らは世の中でゴチャゴチャな対立の世界で生きているでしょう。あなたがあって、私があって。嫌なやつがおって、嬉しいやつがおってとか、そういうことでしょう。嫌いなものがある、好きなものがある。だけども、座禅の時にはみんな一瞬全部平等になってしまうから。これが大切なんです。

Zen2.0 先ほど、いわゆる現世利益みたいなものは求めずにというお話をいただいたんですが、一方で、おそらくこうやって瞑想が広まってきていることの一因というのは、やはり例えば10分でも20分でも瞑想するとスッキリする、心が一回軽くなる、それを皆さん感じていると思うんです。

吉田 もちろん。それが大事だ。スッキリするという気持ちがね。それはまことに結構な話であると。

Zen2.0 それが皆さん続いていくきっかけになっているのかなと思いまして。

吉田 そうです。昔から日本では「おかげさまで」とか「ご縁」とか言うでしょう。あれなんですよ。全部結ばれてしまっている。今、こうやって初めてお目にかかるけれども、しかし、どこかが必ず通じているんです。そこなんです。そこに気が付いていくということは、自分を無心にしていくことなんです。そうしたら相手の気持ちも一緒になるということです。

Zen2.0 実は僕は山を走ったりするんです。やはりそれも、走ると気持ちいんです。

吉田 そうでしょう。慣れるまでは大変だろ?

Zen2.0 はい。慣れるまでは大変なんですが。スポーツとしてではなく、どちらかというとメンタルが気持ちいいということで走るんです。

吉田 三昧だ。

昏鐘の時は、適当に人間の体がくたびれてきてますから、そうするとスーッと座れるんです。

Zen2.0 それと同じように、今、マインドフルネスというかたちで、修行するということではなく、日々の中でもっと自分を保つためにやられている方々が、それにプラスして伝統的な日本の禅からさらに何かを学ぶとしたら、どういうことをアドバイスされますか。

吉田 自分が日々怠りなく、決めたことをちゃんとやるということです。人間って「もう今日はやめておこう」とかいろいろ考えるでしょう。だけど、やることを決めたらちゃんとやる。言うたら三昧です。仕事をしておっても、座禅しているのとちっとも変わらんのです。一生懸命になれば己を忘れられるというか。それが三昧です。座禅の究極は三昧ですよ。

Zen2.0 座って瞑想しなくても三昧の世界に入れると。

吉田 一生懸命やっている時は己を忘れているでしょう。特にみなさん、夕方なんか朝よりか仕事がドンドンはかどるでしょう。あれは一番いい時刻なんです。つまり昏鐘の時で、それは夕方の鐘がなる頃。あの時座禅すると実にいい。朝なんかなかなか三昧に入りきれん。昏鐘の時は、適当に人間の体がくたびれてきてますから、そうするとスーッと座れるんです。だから、みなさんもそれを経験しておらんと駄目ですよ。

Zen2.0 夕方ですか!

吉田 朝なんかよりか、よっぽど夕方のほうがスーッといける。瞑想は。

Zen2.0 脳が1日に処理できる数って決められているというふうに聞くんです。ですので、朝からいろいろ判断することが多いと、だんだんそれを使っちゃって……

吉田 疲れてくるでしょう。体も頭も。だから、昏鐘の時が一番スーッといける。無心になれる。

Zen2.0 それはいいことをうかがいました。

吉田 要は、呼吸はやはり姿勢をまっすぐにしないかん。姿勢まっすぐ、半眼で。それで、スッと座ることによって頭の中が空っぽになる。夕方なんかこれをやりますと、実にスーッと時間が過ぎていく。朝起きた時は頭の中が冴えてますから、実はあんまり落ち着かんのだ。

Zen2.0 そうなんですね。わりと皆さん朝やられる方が多い印象があります。

吉田 だけど、私は言うんですよ。1日に10分でもいい、15分でもいい。日中忙しい人は夕方でもいい。朝でもいいからやれと。朝は寝るので忙しいというから、夜12時や1時まで起きてなくて、15分座るんだったら15分早く寝ろと言うんじゃ。こういうのを「工夫」というんです。

Zen2.0 今はスマートフォンで瞑想のアプリケーションというのがありまして、10分なり20分やるとチーンと音が鳴ってくれたりですとか、終わるとそれが記録で残っていくんです。今同じ時間にあなたと一緒に瞑想をしていた人はこの人たちですといって、世界中の人たちが1,500人とかが表示されるんです。それでボタンを押すと、「一緒にメディテーションしてくれてありがとう」といったメッセージを送り合ったりできるんです。そういう現象というのは老師はどうお考えになりますでしょうか。

吉田 ただそれだけでしょう(笑)

Zen2.0 どうもそれが、先ほどおっしゃった「決めたら毎日やる」という意味で、お互い励まし合うことになっているようで。

吉田 ただ、励まし合ってお互いにやるということはいいんですけれども、そこに何か、お互い「こうしろ、ああしろ」という交流があるとしたら悪くないんですけれども、実はそんなことも超えてしまわないかんよ。それは仏教で言ったら煩悩なんじゃから。

Zen2.0 まだ煩悩の域ということですね。

吉田 そうそう。迷いなんです。

その出会った瞬間瞬間でそれを自分のものにしていくことが大事やと思います。

Zen2.0 そういった中で、やはりわれわれが来年「ZEN 2.0」というイベントをここ建長寺を中心に鎌倉でやろうといいますのも、ある種こういった老師のお話と違う領域で今、「マインドフルネス」というキーワードで欧米を中心に盛り上がっていて、彼らなりのZENのイメージというものを持っていたりするわけです。それを、やはり本物のといいますか、本当の伝統をいかに伝えて両者の間にもう少し太い交流を作るかというのを、私どもなりに微力ながら考えているところなんです。

一方で、今、そういった瞑想なり座禅ということでいうと、例えばGoogleという大企業が西海岸のシリコンバレーにあって、そこがマインドフルネスのプログラムを作って、それが世界中に広がっています。あるいは今、マインドフルネスということで、ヨガの先生ですとか、あるいはマインドフルネスのコーチの方が瞑想のガイドをするんです。皆さんが座っている状態で「呼吸に集中してください」「雑念が浮かんだらそれを手放して、また自分の呼吸に戻りましょう」とガイドするような方々が、今欧米では非常に人気になってきていて、日本でもそういった動きが入ってきています。そのことについて、ぜひ鎌倉の禅仏教のトップでいらっしゃる老師に、どのようにお考えになるかというのをうかがいたいのですが。

吉田 人間というのは、先ほども言ったように、「ご縁」という言葉があるから。だから、そういうことを機械によっていろいろやるのも……私はああいうのを一切使わんから分からんけども、そういう作り事じゃなしに、その出会った瞬間瞬間でそれを自分のものにしていくことが大事やと思います。そういう器具を使うのも、ある種ひとつ頼るということでしょう。

Zen2.0 スマートフォンなんかを使うことがですね。

吉田 その指示によってどうのこうのなんていうのはね。やっぱり自分で見つけていかねば。

Zen2.0 そう誘っていくための先生役として、現代的なといいますか、現世的な形なんだと思うんです。中身は何も他意はないですし、カルトみたいにどこか変な場所に連れていこうという意図も全くないんですけれども。

吉田 それによってずっと三昧になれたら、私はそれでええと思うよ。ただ、あまりにも簡単なことを求めすぎると、人間というのは必ず後退していくんじゃ。やっぱりそこには汗水かいた、そういう体験というものがないといかん。味付けができん。皆さんそれを嫌うんや。私は一番それが気になっている。

スポーツ選手だって、そのスポーツを一生懸命見てたって強くはならんからな。やっぱり訓練しないといかんでしょうが。これと同じことだ。やっぱり人間ですから、泣いたり笑ったり悲しんだり、いろんなことを体験して初めて身になっていくんだからね。その上で、座禅なんかしてみたらスーッといくようになる。

Zen2.0 例えばダイエットでも、バナナだけ食べていれば痩せる、といった簡単なものに飛びつきやすいことがかなり問題になっています。バナナの次はなんだ、その次はなんだとブームになっていく。そういうふうに、楽にやろうとしすぎる。

吉田 そうなんですよ。これが人間のはかない運命で。そういうことをある意味では歴史上ずっと、無意識のうちに追求してきた部分がある。しかし、あまりにも目に見えない、体で触っても分からん世界でそういうことが行きすぎると、ちょっと体全体とのバランスがおかしくなっちゃうんじゃないかと私は思うけど。要は、悟りの醍醐味というのは、例えば暑い時にこう座っておって、なかなか無心になれへんのや。

Zen2.0 老師でもそういうものですか。

吉田 そう。だけども、終わった後のすがすがしさ。外へ出て、夕方の涼しさの中で、実に気持ちがいい。ああいう体験を重ねていかないかんのや。例えばその機器で、そういう体験は私はないと思うな。楽に楽にそういうことを手に入れるということを考えたら駄目。楽に入れると、人間の慈悲というものがなくなる。思いやりということが。われわれは仏教徒ですから、お釈迦さまが特にそういう慈悲ということを、至上の愛ということを説かれましたから、それを根本にしてやりますから。

私なんかも初めて座禅を始めた頃は、「こんな苦しいことか」と。「なんでこんなことをやるのかな」と疑問に思ったことはなかったけども、そういう疑問を思う暇もなくせめ立てられたものやから。そうなると、今度は「よしっ、やる以上は少しでも世の中のためになるためにやり切ってやろう」という覚悟で、ずっと長年やってきましたからね。座禅を修行中は。

Zen2.0 皆さんやはり苦しいという感覚を持たれて……

吉田 持たんと駄目。「決定心(けつじょうしん)」という言葉があるでしょう。自分でしっかりとブレんという心がけを持ってやらんといかん。だから、今の皆さんもそういうつもりでやればな。ちょっとやったからもう駄目やなんて思わんとやられれば私はいいと思う。同じことをやっても。

Zen2.0 そういった意味で、例えばここ建長寺で日々修行されている方々がいらっしゃいますが、一方でわれわれのように普段会社に勤めていて週末に建長寺さんに来て座禅を組まれる方なども多くいらっしゃると思います。毎日やれればいいんですけど、毎日じゃなくてもそうやってやりたいと思っている方々は、どのように座禅に臨むべきでしょうか。そういう方々もある程度苦しむところまで追い込んだほうがよいのでしょうか?

吉田 そうですね。今は金曜日と土曜日に夕方5時から座禅会をやるんだけど、私も行ける時は必ず行って一緒に40分座って、あと30〜40分話をするんです。で、来たらみんななかなかうまいこと座れんし、帰りたい人もおるやろうけど、やればええということは分かってる。で、話を聞いて納得するんです。そうだな、と。それで、帰る時に「また来なあかんぞ」なんて言うと、また来る人はほんのの2〜3人しかおらん。悲しいものでな。

Zen2.0 そうですか!

吉田 そんなものや(笑) この時代になると、どうしても次から次に目新しいものに移っていくでしょう。それでもやって良かったという思いは残るからいいわけだ。そういう時に、何かでもって行き当たった時にはまた必ず来るから。

Zen2.0 では、やられてる間は苦しいと思っても、やり終わった時には良かったと思える、つまり景色がすがすがしかったり、そういう気持ちというのは皆さん感じられるのですね。

吉田 同じこと。誰でも一緒。私は長年やっておっても終わった後気持ちええもんな(笑)

Zen2.0 そこを今、皆さんが気付かれているというか。

吉田 そこをしっかりと気付いてもらうということが大事だな。

真理というものはいつの世の中にも、たとえ信仰というのが全世界からなくなってしまっても、必ずあるんですから。

Zen2.0 座禅に繰り返し来られる方がなかなかいないということですけれども、そういった意味で、国外から見た時に、日本の宗教というものが、よく言われる「結婚式は神道、お葬式は仏教」といったように、日々の宗教的な実践というものが日本では生活の基本になっていないのではないか、という見方もあります。

吉田 それも、戦後こういうふうになっちゃったんだよね。昔は必ずご飯を食べる時には合掌して食べたんじゃな。今はほとんどやらないでしょう。欧米ではちゃんと神に言葉を祈ることがあって食べるでしょう。だから、ある意味では日本人というのは素直なええ心を持っているんだけど、軽い素直な心を持ちすぎやから(笑)

Zen2.0 軽い。

吉田 感化されやすい。

Zen2.0 明治になった時に西欧化とともに廃仏毀釈の仏教排斥があって……

吉田 ただ、仏教がどうのこうのと言ったところで、真理というものはいつの世の中にも、たとえ信仰というのが全世界からなくなってしまっても、必ずあるんですから。大自然イコールや。だから、ゼロ対ゼロですわ。対立の世界がない。

Zen2.0 今ほとんどお答えをいただいていると思うんですが、そういう日本の状況の中で、今のようなメッセージを例えば若い方々に伝えていくためには、どういうふうに伝えていけばいいとお考えでしょうか。

吉田 戦後いろいろな宗教があるでしょう。要は、既成宗教もあるし新興の宗教もありますけれども、人間をつないでいくには何かそこに責任を持たさんといかんわけです。われわれはあんまりそれをやらずに「来てもいいよ。来んでもいいよ」と言うてしまうでしょう。ちゃんと他の宗教は、要はお金を取って縛りますわ。取った以上はやるほうも何かやらんとという頭があるんじゃな。それも実は欲得の世界なんじゃけど。それから入ってもいいんです。例えばお寺に行ったらお賽銭をあげるのもそうや。誰も見返りがあると思わんけれども、だけど何かおかげやと思ってやるわけや。そこまで行けばいいんだけどね。

まぁ、こういう言い方は無責任だけど、なるようにしかならん。

Zen2.0 完全に達観されていらっしゃるように見受けられますが。

吉田 ただ、縁のある人は少しでもやっぱりね。救いたいなんて大げさなことは言わんけれども、少しでも一緒にやっていきたいと思いますわな。

後編へ続く